心の杖

12月28日(火)

 

2021年仕事おさめの日。

コロナ禍で自宅待機の日々だった夏、そして秋、を経て

今年も暮れです。ブログを最後に書いたのは11月6日。

その次の日は、大事な行事だった。

ずっと気がかりだったことが無事にできたこと、

あらためて、ありがたいです。

そこからなんて慌ただしく過ぎたことか。

反省することはたくさんあるけれど、

無事に過ぎた、

本当にありがたいです。

何度もお詫び、お礼を申し上げたいです。

 

8月に書き留めていたこと。

 

「神様の杖」

 

20代後半で、大きな出会いがありました。

 

「金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。」

 

若い時代は、根拠のない自信がパワーの源になることもある。そのおかげで、大学進学、仕事も続けられ、たくさんの旅行にも行けて、感動もたくさん味わう。それと同時に、だんだんに、思い通りにいかないことや、悲しい死別にも出会い、人生どうにもならない出来事の繰り返しであることが分かってくる。人は一人では生きられない、たくさんの人にお世話になってもちつもたれつで生活できているんだと、理解できるようになる。

子どもの時から、負けず嫌いだった。部屋に「克己」と書いた、自筆の紙をはったこともあった。かけっこで男の子に負けることが悔しくて、どうしたら早く走れるか、運動会では必死に工夫したものです。両親には認めてもらいたかったし、勉強もがんばったかな。反面、傷つきやすくて、落ち込むこともよくあったな。同時に、苦しい時や不安なことに、心の中で何かに祈ることがよくあった。「神様助けてください」と。子供のころは気づかなかったけれど、自分をはるかに超える存在に支えられ、だんだんに強く意識して心を向けるようになったのだと思います。

今確かに思うこと、ここまで生かされて、乗り越えられたのは、「神様の杖」のおかげだということです。

 

20代後半で、出会った。金光教

天地は生き通し、生きとし生けるもの天地のお恵みで生かされている、これまでも、これからも未来永劫にこの大いなるお働きは続いていくという道理です。起こりくるすべてがこの親神様のおかげ。そして、難はみかげ。このゆるぎない道理に沿って生きていくことでどんな困難も安心な道につながることを教えてもらえます。ここまでの人生を振り返ると、間違いだらけです。胸が痛くなることも、また癒されることもある。有り難く、申し訳ない思いです。それでも、いつでもどこでも、難を乗り越えられたのは、「この神様を杖」にできたおかげです。ありがとうございます。ただただ、その思いを忘れないで行きたい、素直に思います。

 

天地の大きな神様は、教祖様を通して、天地の道理を教えてくれました。教祖様は、江戸時代末期から明治にかけての激動の時代に生きた一農夫です。真一心の信心で、様々な困難を、どこまでも実意丁寧な生き方を貫き、ついに親神様の御思いを悟られました。その時の神様から教祖様への願いには、「難を受けている氏子を助けてやってくれ」ということがありました。

実意丁寧神信心を貫いて、この世に天地金乃神様と共にお生まれになった金光様

人でありながら、神様と一体になられ、神様のその深い御想いをお言葉にしてこの世に示してくださり、今も、生を受けている私たちが、そのお名前をお呼びすると、心の中で確かにお働きくださる、尊い生神様です。そのご一生がどれほどのことだったのかを理解させて頂くには至りません、心が及びませんが、遥か遠くに思いを向け、今ここにある目の前の小さな小さな世界に心を向けながら、少しでもその誠の姿を仰ぐ私でありたい、真の道を歩ませて頂きたいと願うばかりです。

 

偉そうな私が、凡夫の身になって、自分らしく日々生まれ変わりたい。

いや、生まれ変わる。そうである時、神様が喜ばれる。

長い時間をかけて進化してきた人間の脳(小天地ー小宇宙)に秘められた、神様の御意志が、ここにある気がする。人の脳が進化したわけがここにある気がする。

 

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